なんとなく哀愁を

大阪で哀愁を拾い集めています。

レトロ物件「東谷町ビル」その2

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先日の記事で紹介したモザイク調の住宅、実は1階が地下鉄の駅に直結している。年季の入った外見が示す通り、内部もそれらしく時代を感じるつくりが節々で見られる。

 

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駅出口からの案内板。相当昔から設置されているのだろう。保存状態は良好だが、その材質や形状、文字の書体から、現代にはない独特の昭和感が醸し出されている。

 

昨今の表示板はアクリル板に直接印刷を施すか、もしくはシールを貼って作るというのが一般的である。しかしこの案内板はプラスチックを切り抜いてつくった文字を貼り付けるという、手の込んだつくりをしている。

 

看板屋さんが文字の細部までひとつひとつ丁寧に作り込んだ、言わば昭和主流の案内板。やはり手間をかけているだけあって、文字の立体感と可読性は、現代のそれと比べると遥かに優位性が高いと感じる。

 

今となっては、たかが駅の案内板にこのような手間のかかる手法が使われることは滅多にない。文字のひとつひとつをいちいちくり抜いて造形して、それをまたひとつひとつアクリル板に貼り付けていくというのはあまりにも非効率的。時間はかかるし人件費率的にあまりよろしくない。

 

省コスト至上主義の現代において、このような案内板はコストパフォーマンスの低い過去の遺物でしかないのかもしれない。 しかし、そんな過去に埋没していく遺物たちにこそ、現代の視点ではなかなか目につかない「真価」が秘められていたりするもの。

 

長きにわたり街行く人々の行き先を導いてきた背景。街の小さな一部としてささやかながら存在してきた軌跡。生産が非効率であるが故の優位性。それらを紐解けば、これからの未来に繋がる素晴らしいヒントが見つかるのかもしれない。

 

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